耐震偽装と報道責任

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■□ 天木直人 杉原千畝 人道主義

天木直人の経歴

ネットを検索していたら、天木直人さんに関する以下のデータをゲットしました。

<引用開始>
1969年 外務省入省
経済協力局企画官、中近東アフリカ局アフリカ第二課長、内閣安全保障室審議官
在マレーシア、豪州、カナダの日本国大使館公使

1997年 在米デトロイト日本国総領事

2001年 駐レバノン日本国特命全権大使
イラク戦争に反対する公電を送り外務省を離職
平和の問題を中心に講演活動
<引用終了>

上記について、より詳細は以下にあります。
http://www.senkyo.janjan.jp/bin/candidate/profile/profile.php?id=143730

また、JaanJanによるインタビュー「参院選に挑む元レバノン大使に聞く」もみつけました。少し引用します。
http://www.janjan.jp/election/0706/0706056682/1.php

イラク戦争に反対する書簡を小泉純一郎首相(当時)に送付

<引用開始>
レバノン大使の時代に、イラク戦争に反対する書簡を小泉純一郎首相(当時)に送って、話題になった元外務省職員の天木直人氏が7月の参議院選挙で広範な護憲勢力の結集を目指す政治団体「9条ネット」から比例区で出馬することになった。9条ネットはすでに10人の候補者を公認し、比例区に臨む。

 2003年に出版した著作「さらば外務省! 私は小泉首相と売国官僚を許さない」(講談社)はベストセラーになり、天木氏は脚光を浴びた。同年には「アメリカの不正義 レバノンから見たアラブの苦悩」(展望社)を出版し、04年4月には小泉純一郎首相(当時)への決別状「さらば小泉純一郎! 国民の生命を無視する冷血、傲慢、厚顔宰相を許さない」(講談社)を上梓、反小泉の立場を鮮明にした。天木氏は出馬をなぜ、決意したのか。独占インタビューした。
<引用終了>

久しぶりに、杉原千畝さんのことを思い出しました。

『6000人の命のビザ』 杉原千畝


杉原千畝記念館HPの資料に基づいて、以下にまとめます。
http://www.town.yaotsu.gifu.jp/spot/sugihara/sugihara.html

1939 リトアニアの首都に領事館開設を命じられる。

1940 外務省の指示に反して、ユダヤ難民への日本通過ビザを発給する。
   計2,139家族に日本通過ビザを出す。

1947 4月に帰国。外務省から解職される。

1985 イスラエル「諸国民の中の正義の人賞」を受賞。

このいわゆる『6000人の命のビザ』発行とその後の経緯について、杉原千畝記念館HPにはこうあります。

<引用開始>
ビザを出してもいいですか。」日本の外務省へあてた電報の帰ってくる答えは「正規の手続きができない者に、ビザを出してはいけない。」というものでした。ビザを発給しユダヤ人の命を救うべきか、命令に従って外交官としての輝かしい道を守るべきか。千畝は悩み、そして一つの答えを出したのでした。
<引用終了>

<引用開始>
1947年、幸子夫人と二人の子供を連れて日本に引きあげてくるが、帰国した杉原を待っていたのは独断でビザを発行したことの責任による外務省からの解職。

1968年、杉原の許へ一人のユダヤ人が訪れてきます。彼はボロボロになつた当時のビザを手にして涙をこぼして杉原に礼の言葉をのべたのです。

「ミスター・スギハラ、私たちはあなたのことを忘れたことはありません。」
世界中のユダヤ人たちは杉原のことを探し続けていたのでした。
<引用終了>

第2次世界大戦後、30年近くも、「世界中のユダヤ人たちは杉原のことを探し続けていた」にもかかわらず、なぜ杉原さんを捜し出す事ができなかったのでしょうか?

日本外務省にはSENPO SUGIHARAという外交官は存在しない

この理由は、「戦後、杉原の消息を尋ねるユダヤ人協会からの問い合わせに、それが杉原をさしている事は当然推測されたにもかかわらず「日本外務省にはSENPO SUGIHARAという外交官は過去においても現在においても存在しない」と回答した」(杉原千畝 - Wikipedia)からだと思われます。

しかしながら、もちろん、真実はいつかはあきらかになります。たとえば、2006年5月麻生外務大臣は、杉原さんのゆかりの地リトアニア・カウナスで次のように述べました。外務省HPから引用しましょう。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/g_aso/ubl_06/lithuania_ai.html

<引用開始>
ここ、カウナスは、かつてはリトアニアの首都であり、我が国も戦前に領事館を設置しておりました。その領事館で勤務されていた杉原千畝副領事は、皆様もよく御存じのとおり、ユダヤ系避難民等に日本通過査証を発給、多くの命を救ったとして、国際的にも高い評価を得ています。

私としましても、素晴らしい先輩をもったことを誇りに思う次第であり、これから旧領事館を訪問し、改めて杉原副領事の勇気ある人道的行動に心からの敬意を表したいと思います。
<引用終了>

私は、何も恐るることなく、職を賭して忠実にこれを実行し了えた

杉原さんは当時をこう振り返ったということです。(『決断・命のビザ』より 渡辺勝正編著・大正出版刊)

<引用開始>
最初の回訓を受理した日は、一晩中私は考えた。考えつくした。

回訓を、文字通り民衆に伝えれば、そしてその通り実行すれば、私は本省に対して従順であるとして、ほめられこそすれ、と考えた。

仮に当事者が私でなく、他の誰かであったとすれば、恐らく百人が百人、東京の回訓通り、ビザ拒否の道を選んだだろう。

それは、何よりも、文官服務規程方、何条かの違反に対する昇進停止、乃至、馘首が恐ろしいからである。

私も、何をかくそう、回訓を受けた日、一晩中考えた。

・・・・

苦慮、煩悶の揚句、私はついに、人道、博愛精神第一という結論を得た。

そして私は、何も恐るることなく、職を賭して忠実にこれを実行し了えたと、今も確信している
<引用終了>

Truth shall make you free!!

なお、杉原さんは、ビザを発行する決断について妻の幸子さんに相談しています。一方、天木さんも、イラク戦争に反対する書簡を送労とする時、同様にされたようです。その経緯は以下にあります。

天木直人 6月26日名古屋講演その2
http://www.youtube.com/watch?v=IZmlRn-_o1g

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2007.07/05(木) |  未分類  | Comment(0)  []

 
 

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