耐震偽装と報道責任

 - 本当のことが知りたいんで...耐震偽装と報道責任にタックルしちゃおうかな、と
 
 

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■□ 「誠を尽くしても感動しない者はいまだ一人もいない」

この秋の耐震偽装問題についての一連のできごとから、ある人のことを、思い出しました。

今日はその人の言葉を紹介します。この紹介にあたっては、普段は怠惰な管理人といえども、居ずまいを正す気持ちが自然と沸き起こってきます。

でも、その人は、身分の高い方ではありません。高い官位を極めた方でもありません。事業で大成功して巨万の富を得たわけでもありません。戦場で名誉ある死を遂げたわけでもありません。

法によって死刑に処された一人の"罪人"へ湧きおこる尊崇の念


政府によれば、その人は、"テロリスト"でした。正確には、法に反した死刑囚でした。そして、実際、死罪を宣告されたその日に、刑を執行された人です。

にもかかわらず、実に多くの日本人が、その人を心から尊敬し、その人の言葉に真剣に耳を傾けます。「なぜ??」と思う方がいらっしゃるかもしれません。でも、もし今日の長い日記を最後まで読んでいただけたら、きっと同意していただける、そう確信しています。

では、以下に、その"犯罪者"が、自分への死刑宣告を予見し、死刑の前日の夕方に書き上げた遺書を、松本三之助・田中彰・松永昌三の三先生のご著作(訳)から、抜粋して引用します。

「『誠』という字を念頭におき、これを私の行動のよりどころとしようといろいろ考えてみた」

[引用開始]

身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂

10月25日[管理人註: 1983.11.25です]

21回猛士

私は、昨年以来、心の動きが幾度も変わっていちいち数えきれないほど
である。しかし、そのなかで、なにより私がそうありたいと強く願い、あおぎ慕ったのは、あの趙の貫高であり、楚の屈平であった。このことは諸君のよく知っていることである。

5月11日に、江戸護送の知らせをうけてからは、いまひとつ、「誠」という字を念頭におき、これを私の行動のよりどころとしようといろいろ考えてみた。ちょうどそのころ、杉蔵が「死」の字を私におくり、死を覚悟することを説いた。

しかし、私はそれについては考えず、一枚の白の綿布を求めて、これに『孟子』の「誠を尽くしても感動しない者は、いまだ一人もいない」の一句を書き、手拭に縫いつけ、それを持って江戸に来て、これを評定所のなかに留めおいた。これも、誠についての私の志をあらわすためであった。

「幕府の役人もかならず私の説に耳を傾けてくれるであろうと、志を立てた」

天が、私のとるにたらないが、しかしひとすじに思う真心をくみとり、私を助けてくれるならば、幕府の役人もかならず私の説に耳を傾けてくれるであろうと、志を立てたのである。

しかし、蚊や虻のような役立たずな虫でも、それが群がり集まれば山をもおおいかくしてしまうとの喩えにあるように、私の誠意も幕府の小役人の前にはついに通じるところとはならずなにごともなすことができずに、今日に至ってしまった。こうなるのもまた、私の徳が薄いため天を動かすことができなかったことによると思えば、いまさらだれをとがめ、だれをうらみに思うことがあるだろうか。

私は生まれつき激しい性質で、怒りののしられると、すぐ腹を立ててしまう。そこでできるだけ時の流れにそい、人びとの感情に適応するように努力してきた.だから幕府の役人に対しても、まず幕府が朝廷の意志に反した行為をしたのもやむをえない理由があったのであろうといい、その後に、現在、幕府がとるべきもっとも適当な処置はなんであるかということに説き及んだのである。

「このような幕府のあり方では、今後三年か五年の幕府の安泰もおぼつかない」

幕府の役人も怒ったりののしったりするわけにもいかないので、私の意見に対しては、ただちに、「おまえが述べるところは、すべてが適当であるとは考えられない。そのうえ卑賤の身でありながら、国家の大事を議論すること自体が不届きなのだ」と非難した。しかし私は、これに対して抗弁することをしないで、「このことのために罪になることを私は決して避けようとするものではありません」と述べて弁明を終えたのである。

幕府の法では、一般の庶民が国事を憂えたりすることを許していない。そのことの是非について、これまで私は弁じ争うようなことはしていない。聞くところによると、薩摩の日下部以三次は、幕府の役人の詰問の日に、今の幕府の欠陥をあまねく論じ、「このような幕府のあり方では、今後三年か五年の幕府の安泰もおぼつかないだろう」といって、詰問の役人を激怒させた。そして、日下部は、「このことで死罪に処せられても、少しも悔いるところはない」と述べたとのことである。この日下部の態度には、私はとても及ばない。杉蔵が、死を覚悟することを私に説いたのも、またこの意味なのであろう。


「肝心なことは、内に省みてやましいことがあるかないかということである。」


肝心なことは、内に省みてやましいことがあるかないかということである。そしてまた、人をみ、時に応じることが大事なのである。私の態度がいいか悪いかは、私の死後、歴史の判断に待つ以外あるまい。

右の要諌[管理人註: 老中間部詮勝への要諌作戦]の一件について、事が成功しなかつたときは、老中間部詮勝と差し違えて死に、警備の者がこれを防いで邪魔するときは、切り払うつもりだったなどと口上書には記載してあるが、こんなことは実は私はいってはいないのだ。しかるに三奉行は、強いて記載して、私を無実の罪に問おうとしている。こんな無実の罪をどうして私が受けねばならないのか。

「両奉行の強権による事実の歪曲には承服できなかった。」


そこで、16日の署名の場にのぞんで、石谷・池田の両奉行とおおいに論争した。私は、決して死を惜しむものではない。ただ両奉行の強権による事実の歪曲には承服できなかったのである。

私は、このたびのことでは、初めは、もとより生きるための策もはからず、またかならず死ぬとも思っていなかった。ただ、自分の誠が通じるか通じないかということをもって、天の命ずる自然のなりゆきに身をまかせたのである。

私がもし死罪とならなければ、この心にわき立つ気持ち[管理人註:「7月9日、獄に入って、天下の形勢を考察してみると、神国のことについて、なお自分のなすべきことがあることに悟り、ここにはじめて生きているほうがよいとする気持ちがさかんにわいてきたのである」]は決して沈んでしまうことはないだろう。しかしながら、16日の口上書の内容といい、三奉行の強権による事実の歪曲といい、これらはいずれも私を死地においやろうとしていることだと分ってからは、もうこれ以上、生きることを願う心はなくなってしまったのである。これもまた、私がつね日ごろから学問から得た力が、そうさせたのであろう。

「私の志を受け継いでくれる人があれば、それはまかれた種子が絶えないで、穀物が年から年へと実っていくのと変りない。」

私は今年で30歳になった、まだ一つのことをなすことがなくて死ぬのは、穀物のまだ花を咲かせず実を結ばないのに似ているから、惜しいような気持ちもする。しかしながら、私の身についていえば、花咲き実結ぶときである。かならずしも悲しむことではないであろう。ならせならば、人の寿命には定めがない、穀物の成育のようにかならず四季を経過しなければならないのとはちがうのである。

私は30歳、四季はすでに備わっており、まだ花咲き実結んでいる。それが実のよく熟していないもみがらなのか成熟した米粒なのかは、私の知るところではない。もし同志のなかでこの私の心あるところを憐れんで、私の志を受け継いでくれる人があれば、それはまかれた種子が絶えないで、穀物が年から年へと実っていくのと変りないことだろう。同志の人びとよ、どうかこのことをよく考えてほしい。

「天下の大事を成就するには、天下の有志の士が志を通じ合っていなければできるものではない。」

右の数条を、私はむだに書きとめたのではない。天下の大事を成就するには、天下の有志の士が志を通じ合っていなければできるものではない。そして、右に記した数人は、私が、このたび獄中で新しく知りえたところの人々だから、これを同志の諸君に告げ知らせておくのである。

今日のことについては、同志の諸士よ、戦さに敗れたあと、傷ついて残った味方に、その敗北の様子を問いただすように、きびしくそのいきさつを追究し、後事に備えてほしい。一度失敗したからといってたちまち挫折してしまうのでは、決して勇士とはいえないではないか。諸君よ、頼む、本当に頼むぞ。

・ ・・
10月26日夕暮に書す

21回猛士

[引用終了]

なお、松本三之助・田中彰・松永昌三の三先生のご著作とは、『講孟余話ほか』(中央公論社, 2002)です。願わくは全文をお読みくださらんことを。http://www.amazon.co.jp/gp/product/4121600258

魂の最後の叫び 「鑑照は明神に在り」 吉田寅次郎

明けて10月27日(1859.11.21)、その人は、残首を宣告され、即日、刑は執行されました。吉田寅次郎。 1830年9月20日生。現山口県萩市の人。享年29。

"犯罪者"は、最後に、高らかに、こう吟じたと伝えられています。

吾れ今 国の為に死す
死すとも君親に背かず
悠々たり 天地のこと
鑑照は 明神に在り

管理人でさえ、この遺書や最後の言葉を拝読するたびに、心が泡立つ気がします。よって、例えば、ご友人や子弟の方が、この遺書、すなわち、『留魂録』を手に取り、「諸君よ、頼む、本当に頼むぞ」の一文を目にした時の慟哭と決意は、筆舌に尽くし難いものであったと思料せざるをえません。

「誠は天の道なり、誠を思うは人の道なり。
至誠にして動かされざる者は未だこれあらざるなり。
誠ならずして未だ能く動かす者はあらざるなり。」(孟子)
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2006.12/07(木) |  未分類  | Comment(5)  []

 
 

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■□ 

From : U之薗 #- / URL -  2006.12・08  [edit]

初めてコメントさせていただきます。U之薗と申します。
”身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂”

今の日本で、”吉田松陰”になりきれる人間がいるだろうか。
恥ずかしながら、私も自信はありません。
でも、死ぬ事も辞さない信念が持てるとしたら・・・

うらやましい・・・

■□ 

From : 管理人 #- / URL -  2006.12・09  [edit]

U之薗さん、はじめまして。

死ぬ事も辞さない、というのはとても難しいですよね。管理人もダメです。なにしろ、かなり臆病者なので。

でも、「それって、おかしいよな」と思った事に、「それは違います」くらいは言いたいなあ、と思います。

すごい覚悟でガンバっている人がいて、かつ、その言い分が納得できる内容だったら、「義を見てせざるは勇なきなり」って言葉が頭に浮かんできます。。。

「人生には 自然を破壊したり
人びとを苦しめたりしないで済む
そういう選択をする機会が必ずある
もし人が 生涯にたった一つでいい
本当に良かれと思う選択をしてくれたなら
この社会はきっと変わるはずだ」(宇井純)

■□ 

From : U之薗 #- / URL -  2006.12・09  [edit]

ありがたいお言葉ありがとうございます。

「いにしえの道を聞いても唱えても
      わが行いにせずばかいなし」

■□ 

From : 東急不買 #- / URL -  2006.12・09  [edit]

すばらしいですね。立場は違いますが、学ばせて戴きたいと思います。ありがとうございました。

■□ 

From : 管理人 #- / URL -  2006.12・09  [edit]

死の前日、それを予感しているにもかかわらず、日本の行く末のために、同志を信じ、具体的なアドバイスを詳細に綴るという心境については、どう表現して良いがわかりません。学問の力とおっしゃっていますが、もって生まれた何かがあるように思います。

吉田松陰先生の「士規七則」のうち、第1と第2は21世紀の今日においては、異論のある方も多いと思います。しかし、後半の5つについては、今日においても、異論はまず発生しないと思われます。2つご紹介します。

その3
士の道は義より大なるはなし。義は勇に因りて行はれ、勇は義に因りて長ず。

(士の道で義(正義)ほど大切なものはない。正義は、勇気によって、実行される。勇気は正義を行うことによって、ますます、それを発揮せざるをえなくなる)

その4
士の行は質実欺かざるを以て要と為し、巧詐過を文るを以て恥と為す。光明正大、皆是れより出づ。

(士の行動は、質実で、自分を欺かないことがポイントである。巧みに言いつくろったり、過ちを取り繕うことを恥とする。公明正大な生き方とは、ここにその原点があるのだ。)

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